竜胆畑で眠らせて

小埼竜胆(おざきりんどう)の腹の中。備忘録のようなもの。

2年

2年振りにブログを動かすことになりました。

 

特に理由は無いです。気分です。

 

 

長々と文を認めるには2年くらいの間隔が丁度いい。気がした。

 

 

2年の間に色々なことがあって、考えることも多々ありました

 

今の自分の選択が間違いではなかったといつか言えるようになりたい。

 

 

自分の意識が向かないと何も行動に移せないタイプの無能である小埼。

 

自分から意識を向けられるようなものでないと気が一切向かない。

 

「○○して」「××して」と要求されるのが嫌い。仕事は仕方ないですがね。

 

でも「助けて」とか「協力して」というフレーズに弱い。

 

 

 

この2年で出会いと別れを忙しく繰り返しました。

 

私は多分、どちらかと言うと尽くしたい側の人間なんだと実感した。

 

尽くされるのはなんか違う。

 

とはいえ「この人の為に生きよう」と思えないと一緒にいたいと思えない。

 

そんな発見があった2年間でした。

 

 

常に死にたいと思っていたあの頃よりは健全な思考になっているかな。

 

 

最近は死にたいとは思ってなくて、平穏な暮らしを思うようになりました。

 

このまま平穏に生きたい

虚食、拒食疑惑と孤食

お題「昨日食べたもの」

 

 

最近固形物があまり食べられなくなりました。

 

昨日はポカリと味噌汁(インスタント)しか飲んでません。

 

 

食べたいとは思うんですけどね。

1口食べたら嫌になります。

 

吐き戻したりとかはしてないんですけど。

 

 

 

元々クソチビデブス&万年金欠の小埼。

 

あれ?食費減るし食べなきゃ痩せるし都合いいのでは?

 

1人でご飯食べてても楽しくないし

 

 

といいつつ心配されたので

今日はカレーパンを昼に食べました

 

あーあ、また太る

 

大して美味しく感じなかったし

 

 

とりあえず暑くなるので水分だけはしっかり摂るようにしています

 

そしてポカリをまた飲む

現代的穢多・非人の考察

 

穢多(えた)


中世および近世における賤民 (せんみん) 身分の一。江戸時代には非人 (ひにん) とよばれた人々とともに士農工商の下におかれ、居住地も制限されるなど、不当な差別を受けた。主に皮革業に従事し、犯罪者の逮捕や罪人の処刑などに使役された。明治4年(1871)の太政官布告で法的には平民とされたが、なお「新平民」とよばれた。社会的差別は今も残存している。

 

 

非人(ひにん)

 

江戸時代、えたとともに士農工商の下におかれた被差別階層。また、それに属する人。遊芸や刑場の雑役などに従事した。明治4年(1871)の太政官布告で法的には平民とされたが、社会的差別はなお存続した。

 

[goo辞書より引用]

 

 

 

 

 

 

部落問題ってのはまだ地域にあるそうですが、

そういう話というよりは

 

 

私はずっと被虐者として育ってきました

 

親からの虐待とかはなかったですが、

そういう意味ではなく、

言うなれば「いじめられっ子」というやつでふ

 

 

 

 

学校では何もしてないのに同級生や上級生からバカにされ、

目をつけられ、キモイだの○○菌だの言われて育ち、

 

ランドセルしょってる後ろからタックルされて顔面突っ込んで転んだこともある

 

クラス内ではティッシュの記名欄に「バカ」と書かれてゴミ箱に捨てられ

 

社会体験でもらった車のおもちゃは教室の隅に打ち捨てられ、

発射台はゴミ箱に捨てられ

 

高校入ればマシになるかと思いきや、

 

少し抱いた淡い恋をクラス全員からバカにされ、阻害され、

 

仲がいいと思った友達からも隔離され、

 

年賀状のために住所聞いたら「あんな奴に教えるとか住所変えたい」と陰口を叩かれる。

 

部活でも味方はいなかった。

常に1人で浮いた存在だった。

 

 

大学のサークルでも誰とも仲良くできずに4年間を過ごし、

 

誰からも好かれず、孤立した日々を過ごした

 

 

社会に入れば良くなるかと思えば、

過剰なパワハラを喰らって心が壊れ

(まあ、どうせ自分が無能なのが悪いんだがな)

 

最近ではTwitter垢特定されてあることないこと悪口吹き込まれたらしい。

 

 

最近出会った友達に嫌われたくなくて、

相手が望む行動を取れば

望まないものへの恐怖に身を窶して

 

 

友達を無くしたくない、好きな友達だから何とかしてあげたい。

その一心で「困っている」と言ってきた友人に

お金を合計12万円も貸しました

(4万円を3ヶ月かけて)

 

就職して初めてのお給料でした

 

3年経った今も返ってきません

 

 

 

 

 

 

言うならば私は「現代的穢多非人」

 

 

人に好かれようとすれば、自分が壊れるだけ

 

私は人に好かれてはいけない人間

必ず何か竹篦返しが来る

 

 

一体何処に生きる価値があるのか

 

生きてたって何もいいことなんかない

 

 

 

もう死にたい

 

と言って死のうとすることも許されず

 

家に余っていた酒を煽る

 

取捨選択の剥奪社会

ブログを書くのは最初なんですけど、

別に大したことを書く気もなく、ただ思ったことを書くまでです。

 

小埼竜胆(おざきりんどう)と申します。

どうぞよろしゅう。

 

 

twitterなんかだと精力的に活動してたりしますが、

なんでわざわざブログを始めたかってのは、

純粋に140文字で納めることの意義を感じなくなったから。

 

短い文章が悪いとは言わないが、

長く書いて読んでほしいときもあるし、

時には誰かに伝わらなくても、自分の思いの整理のために

使うときもあるのです。

 

 

前置きはいい。

 

本題へ入ります

 

 

「取捨選択」というのが我々の社会には求められています。

 

自分のことは自分でする!とか、

必要な情報は自分で選んで手に入れる!とか、

詳細はさまざまあれど。

 

最近のサブカル文化とか見ていると、

「個人の取捨選択」の自由がまるで無くなっている気がしてならないです。

 

例えば某鬼退治漫画。

 

みんな見てますね。ゲームでもどんどんコラボしてますね。

 

ゲーセンのUFOキャッチャーには長蛇の列ができ、

たまごっちとかいうトンデモ商品まで出て、

主題歌はどこに行っても流れてて、

コンビニまでコラボ商品で溢れかえってますね。

 

好きな人にとってはいいと思います。

同じ立場なら誇らしいことだと思います。

 

でも、興味のない(自分のような)人からしたら、

それは「価値観の押しつけ」にあたるような気がします。

 

実際に友達からも「鬼滅見なよ!」「なんで見ないの?」

などとさんざん言われています。

 

まるで

見てないお前の感覚は間違っているとでも言われているかのように。

見てないお前は頭がおかしいと言われているかのように。

 

まさに冒頭で述べた「取捨選択の剥奪」ではないかと思うわけです。

 

実際見ようかなと思ったこともあります。

でも、あまりに街中に溢れすぎてて

すっかり食傷してしまって嫌になりました。

なんなら鬼滅の話されるだけでげんなりします。

 

見なくて何が悪いんですか?

見ないと人権がないとでも言うのですか?

 

もちろん全員ではありませんが、

申し訳ないけどそういう人が多い気がします。

 

 

自分で見るものを選び、見ないものは見ない、

見るものは見る、

そういうのが許される世の中になることを願います。